お寺の歴史について

耕雲山法龍寺略史

由緒縁起

一八八二年(明治十五年)ごろ、樽岸地区に曹洞宗が布教され、龍洞院(新栄町)の出張所として、四間四方の建物で行われていた。この当時、この地も漁業等、住民の生業も発達し、人口も増えていたが、各自先祖を祭るための道場なく、死者の葬送のたびごとに僧を地方より招いていた。そうした不便・不尠があったため、一八八四年、有志四名(川村仁太郎氏、前田林蔵氏、矢作藤右衛門氏、成田勇治氏)を中心とした地域住民の尽力により説教所(現法龍寺)が創設される。一八九一年(明治二十四年)「法龍寺」として寺号公称される。

山号 耕雲山
本寺 麒嶽山 龍洞院(寿都町)
開山 龍洞院四世 麒嶽洞麟大和尚
創立功労者 川村仁太郎 前田林蔵 矢作藤右衛門 成田勇治
開創 一八八四年(明治十七年)